简介:《人间失格》是一部半自传体的小说,以“我”看到叶藏的三张照片后的感想开头,中间是叶藏的三篇手记,而三篇手记与照片对应,分别介绍了叶藏幼年、青年和壮年时代的经历,描述了叶藏是如何一步一步走向丧失为人资格的道路的。在发表该作品的同年,太宰治自杀身亡。

はしがき

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

我曾经看见过那个男人的三张照片。

一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹《いとこ》たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴《はかま》をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

「可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空《から》お世辞に聞えないくらいの、謂《い》わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗《すこぶ》る不快そうに呟《つぶや》き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

第一张,可以说是他幼年时代的相片,想必是在十岁前后拍下的。只见照片上的这个男孩子被众多的女人簇拥着(看来,这些女人是他的姐姐、妹妹、抑或堂表姐、堂表妹),他站在庭院的水池畔,身穿粗条纹的裙裤,将脑袋向左倾斜了近三十度,脸上挂着煞是丑陋的笑容。丑陋?!殊不知即使感觉迟钝的人(即对美和丑漠不关心的人)摆出一副冷淡而麻木的表情,不负责任地夸奖他是“一个怪可爱的孩子呐”,也不会让人觉得这种夸奖纯属空穴来风。在那孩子的笑脸上并不是找不到那种人们通常所说的“可爱”的影子来。但倘若是一个哪怕才受过一点审美训练的人,也会在一瞥之间立刻发出“哎呀,一个多讨厌的孩子”之类的牢骚,甚至或许会用掸落毛虫时那种手势,一下子把照片扔在地上吧。

まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺《しわ》を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

说真的,不知为什么,那孩子的笑脸越看越让人觉得讨厌、发悚。其实那本来就不是一张笑脸。这男孩一点儿也没有笑。其证据是,他攥紧了两只拳头站在那儿。人是不可能一边攥紧拳头一边微笑的。唯有猴子才会那样。那分明是猴子的笑脸。他只不过是把丑陋的皱纹聚集在了脸上而已。照片上的他,一副奇妙的神情,显得猥琐,让人恶心,谁见了都忍不住想说“这是一个皱巴巴的小老头”。迄今为止,我还从来没有看到过哪个孩子做出这样一种奇怪的表情。 

第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌《へんぼう》していた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗《のぞ》かせ、籐椅子《とういす》に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命《いのち》の渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

第二张照片上的他,脸部发生了很大的变化,让人不由得大吃一惊。那是一副学生的打扮。尽管很难断定是高中时代还是大学时代,但他已出落为一个相当英俊的学生了。不过有一点让人觉得有些蹊跷,这张照片上的他竟没有一点那种活生生的人的感觉。他穿着学生服,从胸前的口袋处露出白色的手绢,交叉着双腿坐在藤椅上,并且还在笑着。然而,这一次的笑容,不再是那种皱巴巴的猴子的笑,而是变成了颇为巧妙的微笑,但不知为何,总与人的笑容大相径庭,缺乏那种可以称之为鲜血的凝重或是生命的涩滞之类的充实感。那笑容不像鸟,而像羽毛一样轻飘飘的,他就那么笑着,恰似白纸一张,总之,让人觉得那是一种彻头彻尾的人工制品,既便把它斥之为“矫饰”斥之为“轻薄”,斥之为“女人气”都嫌不够,称之为“喜好刀尺”就更不解气了。仔细打量的话,也会从这个英俊的学生身上找到某种近似于怪诞的可怕东西。迄今为止,我还从来没有看到过如此怪异的英俊青年。

もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎《あご》も、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。

第三张照片是最为古怪的,简直让人再也无法判定他的年龄。头上像是已经有了些许白发。那是在某个肮脏无比的房间中的一隅(照片上清晰可见,那房间的墙壁上有三处已经剥落),他把双手伸到小小的火盆烤火,只是这一次他没有笑,脸上没有任何表情。他就那么坐着,把双手伸向火盆,俨然已经自然而然地死去了一般。这分明是一张弥漫着不祥气氛的照片。但奇怪的还不止这一点。照片把他的脸拍得比较大,使我得以仔细端详那张脸的结构。额头长得很平庸,还有眉毛、眼睛。鼻子、嘴巴和下颌。哎呀,这张脸岂止是毫无表情,甚至不能给人留下任何印象。它缺乏特征,比如说,一旦我看过照片后闭上双眼,那张脸便即刻被我忘在九霄云外。尽管我能回忆起那房间的墙壁以及小小的火盆等等,可对于那房间中主人公的印象,却一下子云消雾散,无论如何也想不起来。那是一张不可能成其为画面的脸,一张甚至不可能画成漫画的脸。于是,我又睁开眼看了看这张照片,哦,原来是这样一张照片啊。我甚至没有那种回想起了那张脸以后的愉悦感。如果采用一种极端的说法,即使我再次睁开了双眼端详那张照片也无法回忆起那张脸来,而只能变得越发怏怏不乐、焦躁不安,最后索性把视线掉向一边了事。 

所謂《いわゆる》「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

 即使是所谓的“死相”,也应该再多一些表情或是印象吧?或许把驽马的脑袋硬安在人的身体之上,就会产生与此类似的感觉吧。总之,那照片无缘无故地让人看了毛骨悚然,心生厌恶。迄今为止,我还没有看见过像他那样不可思议的脸。

第一の手記(1)

 恥の多い生涯を送って来ました。

我过的是一种充满耻辱的生活。

自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜《あかぬ》けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

对我来说,所谓人的生活是难以捉摸的。因为我出生在东北的乡下,所以初次见到火车,还是长大了以后的事情。我在火车站的天桥上爬上爬下,完全没有察觉到天桥的架设乃是便于人们跨越铁轨,相反认为,其复杂的结构,仅仅是为了把车站建成外国的游乐场那样又过瘾又时髦的设施。很长一段时间我一直都这么想。沿着天桥上上下下,这在我看来,毋宁说是一种超凡脱俗的俏皮游戏,甚至我认为,它是铁路的种种服务中最善解人意的一种。尔后,当我发现它不过是为了方便乘客跨越铁轨而架设的及其实用的阶梯时,不由得大为扫兴。

また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

另外,在孩提时代,我从小人书上看到地铁时,也以为它的设计并非出自于实用性需要,而是缘于另一个更好玩的目的:即比起乘坐地面上的车辆,倒是乘坐地下的车辆更显得别出心裁,趣味横生。

自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

从幼年时代起,我就体弱多病,常常卧床不起。我总是一边躺着,一边思忖到:这些床单、枕套、被套、全都是无聊的装饰品。直到自己二十岁左右才恍然大悟,原来它们都不过是一些实用品罢了。于是,我对人类的节俭不禁感到黯然神伤。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

还有,我也不知道饥肠辘辘是何等滋味。这倒并不是故意炫耀自己生长在不愁吃不愁穿的富贵人家。我绝不是在那样一种愚蠢而浅薄的意义上这么说的,只是我真的对“饥肠辘辘”的感觉一无所知而已。或许我这样说有点蹊跷,但是即使我两腹空空,也真的不会有所察觉。在上小学和中学时,一旦我从学校回到家里,周围的人就会七嘴八舌地问道:“哎呀,肚子也该饿了吧,我们都有过类似的体验呐。放学回家那种饥饿感,可真要人命啦。吃点甜纳豆怎么样?家里还有蛋糕和面包哟。”而我只顾着发挥自己与生俱来的那种讨好人的秉性,一边嗫嚅着“我饿了我饿了”一边把十粒甜纳豆一股脑儿塞进嘴巴里。正因为如此,我对所谓的“饥饿感”是何等滋味,一点也不了解。

自分だって、それは勿論《もちろん》、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。

当然,我也吃很多东西,但我不曾记得,有哪一次是因为饥饿才吃的。我吃那些看起来珍奇的东西,看起来奢华的东西。还有去别人家时,对于主人端上来的食物,我即使勉为其难也要咽下肚去。在孩提时代的我看来,最痛苦难捱的莫过于自己家吃饭的时候。

自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳《ぜん》を二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔|気質《かたぎ》の家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛《か》みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

在我乡下的家中,就餐时,全家人一共有十个左右,大家各自排成两列入座。作为最小的孩子,我当然是坐在最靠边的席位上。用餐的房间有些昏暗,吃午饭时只见十几个人全都一声不响的嚼着饭粒,那情形总让我不寒而栗。再加上这是一个古板的旧式家族,所以,每顿端上饭桌的菜肴几乎都是一成不变的,不可能奢望出现什么稀奇的山珍,抑或奢华的海味,以至我对用餐时刻充满了恐惧。我坐在那幽暗房间的末席上,因寒冷而浑身颤抖。我把饭菜一点一点勉强塞进口中,不住地忖度着:“人为什么要一日三餐呢?大家都一本正经地板着面孔吃饭,这似乎成了一种仪式。一家老小,一日三餐,在规定的时间内聚集到一间阴暗的屋子里,井然有序地并排坐着,不管你有没有食欲,都得一声不吭地咀嚼着,还一边佝着身躯埋下头来,就像是对着那蛰居于家中的神灵们祈祷一样。”

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋《かいじゅう》で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

“不吃饭就会饿死”,这句话在我的耳朵听来,无异于一种讨厌的恐吓。任这种迷信(即使到今天,我依旧觉得这是一种迷信)却总是带给我不安与恐惧。“人因为不吃饭就会饿死,所以才不得不干活,才不得不吃饭”——在我看来,没有比这句话更晦涩难懂,更带有威吓性的言辞了。

つまり自分には、人間の営みというものが未《いま》だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾《てんてん》し、呻吟《しんぎん》し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

总之,也就意味着,我对人类的营生仍然是迷惑不解。自己的幸福观与世上所有人的幸福观风马牛不相及,这使我深感不安,并因为这种不安而每夜辗转难眠,呻吟不止,乃至精神发狂。我究竟是不是幸福呢?说实话尽管我打幼小起,就常常被人们称之为幸福的人,可是我自己却总是陷入一种置身于地狱的心境中,反倒认为那些说我幸福的人比我快乐得多,我和他们是无法相提并论的。

自分には、禍《わざわ》いのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負《せお》ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

我甚至认为,自己背负着十大灾难,即使将其中的任何一个交给别人来承受,也将会置他于死地。

つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨《せいさん》な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快《そうかい》なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を步きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

反正我是弄不明白的。别人苦恼的性质和程度,都是我捉摸不透的谜。实用性的苦恼,仅仅依靠吃饭就一笔勾销的苦恼,或许这才是最为强烈的痛苦,是惨烈得足以使我所列举的十大灾难显得无足轻重的阿鼻地狱。但我对此却一无所知。尽管如此,他们却能够不思自杀,免于疯狂,纵谈政治,竟不绝望,不屈不挠,继续与生活搏斗。他们不是并不痛苦吗?他们使自己成为彻底的利己主义者,并虔信那一切理所当然,曾几何时怀疑过自己呢?这样一来,不是很轻松惬意吗?然而,所谓的人并不全部如此,并引以满足吗?我确实弄不明白......或许夜里酣然入睡,早晨就会神清气爽吧?他们在夜里都梦见了什么呢?他们一边款款而行,一边思考着什么呢?是金钱吗?绝不可能仅仅如此吧?尽管我曾听说过“人是为了吃饭而活着的”,但却从不曾听说过“人是为了金钱而活着的”。不,或许......不,就连这一点我也没法开窍。......越想越困惑,最终的下场就是被“唯有自己一个人与众不同”的不安和恐惧牢牢攫住。我与别人无从交谈,该说什么,该怎么说,我都不知道。

そこで考え出したのは、道化でした。

在此,我想到了一个招数,那就是扮演滑稽的角色来逗笑。

それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

这是我对人类最后的求爱。尽管我对人类满腹恐惧,但却怎么也没法对人类死心。并且,我依靠逗笑这一根细线保持住了于人类的一丝联系。表面上我不断地强装出笑脸,可内心里却是对人类拼死拼活的服务,汗流浃背的服务。

自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

从孩提时代起,我就对家里人每天思考些什么,又是如何艰难地求生,不得而知。我只是对其中的隔膜心怀恐惧,不堪忍受,以致于不得不采取了扮演滑稽角色来逗笑的方式。即是说,我在不知不觉之间已经变成了一个不说真话来讨好卖乖的孩子。

その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。

只要看一看当时我与家人们一起拍的留影,就会发现:其他人都是一本正经的脸色,惟独我一个人总是莫名其妙地歪着脑袋发笑。事实上,这也是我幼稚而可悲的一种逗笑方式。

また自分は、肉親たちに何か言われて、口応《くちごた》えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂《へきれき》の如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

而且,无论家里人对我说什么,我都从不还嘴顶撞。他们寥寥数语的责备,在我看来就如同晴天霹雳一般,使我近乎疯狂,哪里还谈得上以理相争呢?我甚至认为,那些责备之辞乃是万世不变的人间“真谛”,只是自己没有力量去实践那种“真谛”罢了,所以才无法与人们共同相处。正因为如此,我自己既不能抗争也不能辩解。一旦别人说我坏话,我就觉得是自己误解了别人的意思一样,只能默默地承受那种攻击,可内向却感到一种近乎狂乱的狂惧。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子《しし》よりも鰐《わに》よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾《しっぽ》でピシッと腹の虻《あぶ》を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄《せんりつ》を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。

不管是谁,如果遭到别人的谴责或是怒斥,都是不会感到愉快的。但我却从人们动怒的面孔中发现了比狮子、鳄鱼、巨龙更可怕的动物本性。平常他们总是隐藏起这种动物本性,可一旦遇到某个时机,他们就会像那些温文尔雅地躺在草地上歇息的牛,蓦然甩动尾巴抽死肚皮上的牛虻一般,暴露出人的这种本性。见此情景,我总是不由得毛骨悚然。可一旦想到,这种本性也是人类赖以生存的资格之一,便只能对自身感到由衷的绝望了。

人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩《おうのう》は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

我一直对人类畏葸不已,并因这种畏葸而战栗,对作为人类一员的自我的言行也没有自信,因此只好将独自一人的懊恼深藏在胸中的小盒子里,将精神上的忧郁和过敏密闭起来,伪装成天真无邪的乐天外表,使自己一步一步地彻底变成了一个滑稽逗笑的畸形人。

何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空《そら》だ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

无论如何都行,只要能让他们发笑。这样一来,即使我处于他们所说的那种“生活”之外,也不会引起他们的注意吧。总而言之,不能有碍他们的视线。我是“无”,是“风”,是“空”。诸如此类的想法日积月累,有增无减,我只能用滑稽的表演来逗家人们发笑,甚至在比家人更费解更可怕的男佣和女佣面前,也拼命地提供滑稽小丑的逗乐服务。

自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を步き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て步くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆《レギンス》を両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以《もっ》てセエターを着ているように見せかけていたのです。

夏天,我居然在浴衣外面套上一件鲜红的毛衣,沿着走廊走来走去,惹得家里人捧腹大笑,甚至连不苟言笑的兄长也忍俊不禁:

“喂,阿叶,那种穿着不合时宜哟!”

他的语气里充满了无限的爱怜。是啊,无论怎么说,我都不是那种不知冷暖,以致于会在大热天里裹着毛衣四处窜动的怪人呐。其实,我是把姐姐的绑腿缠在了两只手臂上,让它们从浴衣的袖口中露出一截,以便在旁人的眼里看来,我身上像是穿了一件毛衣似的。

自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚《しんせき》の者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖《てちょう》に書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

我的父亲在东京有不少公务,所以,他在上野的樱木町购置了一栋别墅,一个月中的大部分时间都是在那里度过的。回到家里时,总是给家中的人,甚至包括亲戚老表们,都带回很多的礼物。这俨然是父亲的一大嗜好。某一次,在上京前夕,父亲把孩子们召集到客厅里,笑着一一问每个小孩,下次他回来时,带什么礼物才好,并且把孩子们的答复一一写在了记事本上。父亲对孩子们如此亲热,还是很罕有的事情。

「葉蔵は?」

“叶藏呢?”

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

被父亲一问,我顿时语塞了。

何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味《あじわ》い、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。

一旦别人问起自己想要什么,那一刹那反倒什么都不想要了。怎么样都行,反正不可能有什么让我快乐的东西——这种想法陡然掠过我的脑海。同时,只要是别人赠与我的东西,无论它多么不合我的口味,也是不能拒绝的。对讨厌的事不能说讨厌,而对喜欢的事呢,也是一样,如同战战兢兢地行窃一般,我只是咀嚼到一种苦涩的滋味,因难以明状的恐惧感而痛苦挣扎。总之,我甚至缺乏力量在喜欢与厌恶其间择取其一。在我看来,多年以后,正是这种性格作为一个重要的因素,造成了我自己所谓的那种“充满耻辱的生涯”。

自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

见我一声不吭,扭扭捏捏的,父亲的脸上泛起了不快的神色,说道:

“还是要书吗?......浅草的商店街里,有一种狮子卖,就是正月里跳的狮子舞的那一种呐。论大小嘛,正适合小孩子披在身上玩。你不想要妈?”

一旦别人问起我“你不想要吗”,我已是黔驴技穷了,再也不可能做出逗人发笑或是别的什么回答了。逗笑的滑稽演员至此已是徒有虚名了。

“还是书好吧。”长兄一副认真的表情说道。

“是吗?”父亲一脸扫兴的神色,甚至没有记下来就“啪”的一声关上了记事本。

何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐《ふくしゅう》は、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

这是多么惨痛的失败啊!我居然惹恼了父亲。父亲的报复必定是很可怕的。眼下如果不想想办法,不是就不可挽回了吗?那天夜里,我躺在被窝里一边打着冷颤,一边思忖着,然后蹑手蹑脚地站起身走向客厅。我来到父亲刚才放记事本的桌子旁边,打开抽屉取出记事本,啪啦啪啦地翻开,找到记录着礼物的那一页,用铅笔写下“狮子舞”后才折回去睡了。对于那狮子舞中的狮子,我提不起一星半点的欲望,毋宁说倒是书还强一点。但我察觉到,父亲有意送给我那种狮子,为了迎合父亲的意志,重讨父亲的欢心,我才胆敢深夜冒险,悄悄溜进了客厅。

そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

果然,我的这种非同寻常的手段取得了预料之中的巨大成功。不久,父亲从东京归来了。我在小孩的房间里听到父亲大声地对母亲说道:

“在商店的玩具铺里,我打开记事本一看,嗨,上面竟然写着"狮子舞"。那可不是我的字迹呢。那又是谁写的呢?我想来想去,总算是猜了出来。原来是叶藏那个孩子的恶作剧哩。这小子呀,当我问他的时候,他只是一个劲儿地嗤嗤笑着,默不做声,可事后却想要那狮子想得不得了。真是个奇怪的孩子呐。装作什么都不知道的样子,自个儿却一板一眼地写了上去。如果真是那么想要的话,直接告诉我不就得了吗?所以呀,我在玩具铺里忍不住笑了。快把叶藏给我叫来吧。”

 また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶《めちゃくちゃ》にピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目《でたらめ》の曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚《た》いて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗《さらさ》の風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

我把男女佣人召集到房间里,让其中的一个男佣胡乱地敲打着钢琴的琴键(尽管这是偏僻的乡下,可在这个家里却几乎配备了所有的家什)。我则伴随着那乱七八糟的曲调,跳起了印第安舞蹈供他们观赏,逗得众人捧腹大笑。二哥则点上镁光灯,拍摄下了我的印第安舞蹈。等照片冲洗出来一看,从我围腰布的合缝处(那围腰布不过是一块印花布的包袱皮罢了),竟露出一个小雀雀。顿时这又引来了满堂的哄笑。或许这也可以称之为以外的成功吧。

自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他《ほか》にも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染《なじみ》で、また、怪談、講談、落語、江戸|小咄《こばなし》などの類にも、かなり通じていましたから、剽軽《ひょうきん》な事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

每个月我都定购不下十种新出版的少年杂志,此外,还从东京邮购了各种书籍,默默地阅读。所以,对麦恰拉克恰拉博士呀,纳蒙贾博士呀,我都颇为熟悉。并且对鬼怪故事、评书相声、江户笑话之类的东西,也相当精通。因此,我能够常常一本正经地说一些滑稽的笑话,令家人捧腹大笑。

しかし、嗚呼《ああ》、学校!

然而,呜呼,学校!

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚《はなは》だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

在学校里我也开始受到了众人的尊敬。“受人尊敬”,这种念头本身也让我畏葸不已。我对受人尊敬这一状态进行了如下定义:近于完美无缺地蒙骗别人,尔后又被某个全智全能之人识破真相,最终原形毕露,被迫当众出丑,以致于比死亡更难堪更困窘。即使依靠欺骗赢得了别人的尊敬,无疑也有某个人熟谙其中的真相。不久,那个人必定会告知其他的人。当人们发觉自己上当受骗后,那种愤怒和报复将是怎样一种情形呢?即使稍加想象,也不由得毛发竖立。

第一の手記(2)

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺《こっけいばなし》ばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある痰壺《たんつぼ》にしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を步きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

我在学校里受到众人的拥戴,与其说是因为出生于富贵人家,不如说是得益于那种俗话所说的“聪明”。我自幼体弱多病,常常休学一个月、两个月,甚至曾经卧床休息过一学年。尽管如此,我还是拖着大病初愈的身子,搭乘人力车到学校,接受了学年末的考试,殊不知比班上所有的人都考得出色。即使在身体健康的时候,我也毫不用功,纵然去上学,也只是在上课的时间里一直画漫画,等到下课休息时,再把它们展示给班上的同学看,说明给他们听,惹得他们哄堂大笑。而上作文课时,我尽写一些滑稽故事,即使受到老师的提醒,也照写不误。因为我知道,其实老师正悄悄地以阅读我的滑稽故事为乐呢。有一天,我按照惯例,用特别凄凉的笔调描写了自己某一次丢人现眼的经历。那是我跟随母亲去东京的途中,我把火车车厢里通道上的痰盂当成了尿壶,把尿撒在了里面(事实上,在去东京时,我并不是不知道那是痰盂才出的丑,而是为了炫耀小孩子的天真无知故意这么做到)。我深信,这样的写法肯定能逗得老师发笑。所以就轻手轻脚地跟踪在走向教员休息室的老师背后。只见老师一出教室,就从班上同学的作文中挑出我的作文,一边走过走廊,一边开始读了起来。他“嗤嗤”地偷偷笑着,不久便走进了教员休息室。或许是已经读完了吧,只见他满脸通红大声笑着,劝其他老师也立即浏览一遍。见此情形,我不由得心满意足。

 お茶目。

淘气鬼的恶作剧。

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

我成功地让别人把这视为“仅仅是一个淘气鬼的恶作剧罢了”。我成功地从受人尊敬的恐惧中逃离了出来。成绩单上所有的学科都是十分,唯有品行这一项要么是七分,要么是六分,这也成了家里人的笑料之一。

けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡《およ》そ対蹠《たいせき》的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀《かな》しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡《まわ》りに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

事实上,我与那种淘气鬼的恶作剧本质上是恰恰相悖的。那时,我被男女佣人教唆着做出了可悲的丑事。事到如今我认为,对年幼者干出那种事情,无疑是人类所能犯下的罪孽中最丑恶最卑劣的行径。但我还是忍受了这一切,并萌生了一种感觉,仿佛由此而发现了人类的另一种特质似的。我只能软弱地苦笑。如果我有那种诉说真相的习惯,那么,或许我就能够毫不胆怯地向父母控诉他们的罪行吧,可是,我却连自己的父母都不可能完全了解。我一点也不指望那种“诉诸于人”的手段。无论是诉诸父亲还是母亲,也不管诉诸警察,或是政府,最终难道不是照样被那些深谙世故之人强词夺理击败了吗?

必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮《しょせん》、人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

不公平现象是必然存在的。这一点是明摆着的事实。本来诉诸于人就是徒劳无益的。所以我依旧对真实的事情一言不发,默默忍耐着除了继续扮演滑稽逗笑角色之外已经别无选择。

なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑《ちょうしょう》する人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で[#「お互いの不信の中で」に傍点]、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々《みちみち》、下男たちが嘆き合っていたのです。

或许有人会嘲笑道:“什么,难道不是对人类的不信任吗?嘿,你几时当上了基督教徒?”事实上在我看来,对人类的不信任,并不一定与宗教之路直接相通。包括那些嘲笑我的人在内,难道人们不都是在相互怀疑之中,将耶和华和别的一切抛在脑后,若无其事地活着的吗?记得自己小时候,父亲所属的那个政党的一位名流来到我们镇上演说,男佣人带着我去剧场听讲。听众密密匝匝地挤在那里,我看见了镇上所有与父亲关系密切的人的面孔。这使我兴奋不已。演讲结束后,听众们三五成群地沿着雪夜的道路踏上了归途。信口开河地议论着演讲会的不是,其中还掺杂着一个和父亲过从甚密的人的声音。那些所谓的“同志们”用近乎愤怒的声调大肆品头论足,说什么我父亲的开场白拙劣无比,那位名人的演讲让人云里雾里,不得要领等等。更可气的是,那帮人居然顺道拐入我家,走进了客厅,脸上一副由衷的喜悦表情,对父亲说,今晚的演讲会真是获得了巨大的成功。甚至当母亲向男佣们问起今晚的演讲会如何时,他们也若无其事地回答说,“真是太有趣了。”而正是这些男佣们刚才还在回家的途中叹息说:“没有比演讲会更无聊的了。”

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晚まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに[#「清く明るく朗らかに」に傍点]生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦《みょうてい》を教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗《な》めずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから。

而这仅仅是其中一个微不足道的事例。相互欺骗,却又令人惊奇地不受到任何伤害,甚至于就好像没有察觉到彼此在欺骗似的,这种不加掩饰从而显得清冽、豁达的互不信任的例子,在人类生活中比比皆是。不过,我对相互欺骗这类事情并没有太大的兴趣。就连我自己也是一样,依靠扮演滑稽角色来整天欺骗人们。对于那种教科书式的正义呀、道德之类的东西,我不可能抱有太大的兴趣。在我看来,倒是那些彼此欺骗,却清冽而开朗地生存着,抑或是有信心清冽而开朗地生活下去的人,才是令人费解的。人们最终也没有教给我其中的妙谛。或许明白了那些妙谛我就不再那么畏惧人类,也不必拼命提供逗笑服务了吧。或许也就犯不着再与人们的生活相对立从而体验那种每个夜晚的地狱所带来的痛楚了吧。总之,我没有向任何人控诉那些男女佣人犯下的可恨罪愆,并不是出于我对人类的不信任,当然更不是基督教的影响,而是因为人们对我这个名叫叶藏的人关闭了信誉的外壳之缘故。因为就连父母也不时向我展示出他们令人费解的部分。

そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅《か》ぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

然而,众多的女性却依靠本能,嗅出了我无法诉诸于任何人的那种孤独气息,以致于多年以后,这成了我被女人们乘虚而入的种种诱因之一。

つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

既是说,在女人眼里,我是一个能保守恋爱秘密的男人。

第二の手記(1)

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉《わかば》と共に、青い海を背景にして、その絢爛《けんらん》たる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤《ちりば》めて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章《きしょう》にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

在海岸边被海水侵蚀而形成的汀线附近,并排屹立着二十多棵雄伟粗大的山樱树。这些树皮呈黑色的山樱树,每到新学年伊始,便与浓艳的褐色嫩叶一起,在蓝色大海的映衬下,绽放出格外绚丽的花朵。不久,待落英缤纷的时节,无数的花瓣便会纷纷落入大海,在海面上随波漂荡,然后又被波涛冲回到海岸边。东北地区的某所中学,正是在这长着樱树的沙滩上就势建起了学校的校园。尽管我并没有好好用功备考,却也总算顺利地考进了这所中学。无论是这所中学校帽上的徽章,还是校服上的纽扣,都缀着盛开的樱花图案。

その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

我家的一个远房亲戚就住在那所中学附近。也正因为这个,父亲为我选择了那所面对大海和开满樱花的中学。我被父亲寄养在那个亲戚家里,因为离学校很近,所以我总是在听到学校敲响朝会的钟声之后,才飞快地奔向学校。我就是这样一个懒惰的中学生,但我却依靠自己惯用的逗笑本领,日益受到了同学们的欢迎。

生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親|眷属《けんぞく》全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者《くせもの》が、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

这是我生平第一次远走他乡,但在我眼里,陌生的他乡,比起自己出生的故乡,是一个更让我心旷神怡的环境。这也许是因为我当时已把逗笑的本领掌握得天衣无缝,以致于在欺骗他人时显得更加轻松自若的缘故。当然,做这样的解释又何尝不可,但是,更为致命的原因分明还在于另一点:面对亲人还是面对陌生人,身在故乡还是身在他乡,其间存在着不可避免的演技上的难度上的差异。而且这种难度差异无论对哪一位天才而言——即便是对于神灵之子耶稣而言——不也同样存在吗?在演员看来,最难进行表演的场所莫过于故乡的剧场。在五亲六戚聚集一堂的房间,再有名的演员恐怕也会黔驴技穷吧。然而我却在那里一直进行了表演,并取得了相当大的成功。所以像我这样的老油子,来到他乡进行表演,必然是万无一失。

自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動《ぜんどう》していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

我对人的恐惧与先前相比,倒是有过之而无不及,它在我的内心深处剧烈地扭动着,而我的演技却是在日渐长进。我常常在教室里逗得同班同学哄堂大笑,连老师也不得不一边在嘴上感叹着“这个班要是没有大庭,该是个多好的集体啊”,一边却用手掩面而笑。我甚至还能够轻而易举地让那些惯于发出雷鸣般厉声的驻校军官也噗哧大笑。

もはや、自分の正体を完全に隠蔽《いんぺい》し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣《うわぎ》を着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

当我正要开始为自己彻底掩盖了本人的真实面目而暗自庆幸的时候,出乎意料地被别人戳了背脊骨。那个戳了我背脊骨的人,竟然是班上身体最为羸弱、脸孔又青又肿的家伙。他身上的衣服让人觉得像是父兄留给他的破烂货,过于长大的衣袖恍若圣德太子的衣袖。他的功课更是一塌糊涂,在军事训练和体操课时,总像一个在旁边见习的白痴似的,就连一贯小心翼翼的我也从来没有想到过提防他。

その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁《ささや》きました。

「ワザ。ワザ」

一天上体操课的时候,那个学生(他的姓氏我早已忘了,只记得名字叫竹一),就是那个竹一,照旧在一旁见习,而我们却被老师吩咐做单杠练习。我故意尽可能做出一副严肃的表情,“哎——”地大叫一声,朝着单杠飞身一跃,就像是跳远那样向前猛扑过去,结果是一屁股摔在了沙地上。这纯属是一次事先预谋好的失败。果然成了众人捧腹大笑的引子。我也一边苦笑着,一边爬起来,掸掸裤子上的砂粒。这时,那个竹一不知何时来到了我的旁边,捅了捅我的后背,低声咕哝道:

“故意的,故意的。”

 自分は震撼《しんかん》しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

我感到一阵震惊,做梦也没有想到,竹一竟然识破了我故意失败的真相。我仿佛看见世界在哪一刹那间被地狱之火挟裹着,在我眼前熊熊燃烧起来。我“哇”地大叫着,使出全身的力量来遏制住近乎疯狂的心绪。

それからの日々の、自分の不安と恐怖。

那以后,我每天都生活在不安与恐惧之中。

表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息《ためいき》が出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして步くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晚、四六時中、竹一の傍《そば》から離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於《お》いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

尽管我表面上依旧扮演着可悲的滑稽角色来博得众人发笑,但有时候却也情不自禁地发出重重的叹息。无论我干什么,都肯定会被那个竹一彻底识破真相,并且他还会很快向每个人透露这一秘密——一想到这儿,我的额头上就会直冒汗珠,像是狂人一般用奇怪的眼神审视着四周。如果可能,我甚至巴不得从早到晚二十四小时跟踪监视竹一,以免他随口泄漏了秘密。而且就在我纠缠着他不放的时候,为了让他觉得我的滑稽行为并不是所谓的“故意之举”,而是货真价实的东西,我真可谓殚思竭虑,倾注了所有努力。我甚至打定主意,希望一切顺利的话,成为他独一无二的密友。倘若这一切都是不可能的话,那我便只能盼望他的死亡。但我却怎么也无法萌生杀死他的念头。在迄今为止的生涯中,我曾经无数次祈望过自己被杀死,却从来也没有动过杀死别人的念头。这是因为我觉得,那样做只会给可怕的对手带来幸福的缘故。

自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑《びしょう》を湛《たた》え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫《ねこな》で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

为了使他驯服就范,我首先在脸上堆满伪基督徒式的“善意”的微笑,将脑袋向左倾斜三十度左右,轻轻地搂抱住他瘦小的肩膀,用嗲声嗲气的肉麻腔调,三番五次地邀请他到我寄宿的亲戚家中去玩,但他却总是一副发呆的眼神,闷声不响。不过,在一个放学之后的傍晚(我记得是在初夏时节),天上陡然下起了暴雨,学生们都为如何回家大伤脑筋。因为我的亲戚家离学校很近,所以我正要无所畏惧地往外冲,这时,我看见了竹一。他正满脸颓丧地站在门口木屐箱的后面。“走吧,我把伞借给你。”我说道,一把拽住怯生生的竹一的手,一起在骤雨飞跑起来。到家以后,我请婶婶替我们俩烘干湿衣服,在此期间我把竹一领到自己二楼的房间里。

その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。

我的这个亲戚家是三口之家,有一个年过五十的婶婶,一个三十岁左右、戴着眼镜、体弱多病的高个子表姐(她曾经出嫁过一次,后来又回到娘家来了。我也学着这个家里其他人的样子,叫她“阿姐”),和一个最近才从女子学校毕业,名叫雪子的表妹。她和姐姐大不相同,个头很小,长着一张圆脸。楼下的店铺里,只陈列着少量的文具和运动用品。主要收入似乎来源于过世的主人留下的那五六排房屋的房租。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

“我耳朵可疼呢。”竹一就那么一直站着说话。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

“可能是雨水灌进耳朵才发疼的吧。”

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿《うみ》が、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

我一看,只见他的两只耳朵都害了严重的耳漏病,眼看着浓水就要流出耳朵外面了。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分は大袈裟《おおげさ》におどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝《ひざ》を枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚《ほ》れられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

“这怎么行呢?很疼吧?”我有些夸张地露出惊诧的神色,“大雨中把你拽出来,害你落得这个样子,真是对不起你。”

我用那种近于女人腔的“温柔”语调向他道歉,然后到楼下拿来棉花和酒精,让竹一的头枕在我的膝盖上,体贴入微地给他清理耳朵。就连竹一好像也没有察觉到这是一种伪善的诡计。

“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”竹一头枕着我的膝盖,说了一句愚蠢的奉承话。

しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍《がらん》が崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。

很多年以后我才知道,他的这句话就像是恶魔的预言一样,其可怕程度是竹一也没有意识到的。什么“迷恋”、“被迷恋”这些措辞本身就是粗俗不堪而又戏弄人的说法,给人一种装腔作势的感觉。无论是多么“严肃”的场合,只要让这些词语抛头露面,忧郁的伽蓝就会顷刻间分崩离析,变得索然无味。但如果不是使用“被迷恋上的烦恼”之类的俗语,而是使用“被爱的不安”等文学术语,似乎就不至于破坏忧郁的伽蓝了。想来可真是奇妙无比。

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽《かす》かに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気《ふんいき》に対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

我给竹一揩耳朵里的脓血时,他说了句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,当时,我听了之后,只是满脸通红地笑着,一句话也没有回答,可实际上我私下里也认为他的话不无道理。然而对于“被迷恋”这样一种粗俗的说法所产生的装腔作势的氛围,我竟然说他说的话不无道理,无异于愚昧地表述自己的感想,其糊涂程度远远超过相声里的傻少爷,事实上,我是绝对不会以那种戏谑的、装腔作势的心情来“认为他的话不无道理”的。

自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞《むち》とちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒《ちゆ》し難い傷でした。

在我看来,人世间的女性不知比男性费解多少倍。在我们家,女性数量是男性的好多倍,亲戚家也是女孩子居多。还有前面提到过的那些“犯罪”的女佣人。我想甚至可以说,我自幼是在女人堆中长大的。尽管如此,我却一直是怀着如履薄冰的心情与女人打交道的。我对她们一无所知,如坠云雾,不时遭受惨痛的失败。这种失败与从男性那儿受到的鞭笞截然不同,恍若内出血一般引人不快,其毒性攻心,难以治愈。

女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳《じゃけん》にし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

女人有时和你形影不离,有时又对你弃之不理。当着众人的面她藐视我,羞辱我,而一旦背着大家,她又拼命地搂紧我。女人的睡眠酣甜得宛若死去了一般,甚至让人怀疑她们是否为了酣然入眠才存活于这个世界上的。我从幼年时代起就对女人进行了种种观察,尽管同是人类,女人却分明是一种与男人迥然相异的生物。而就是这种不可理喻、需要警惕的生物,竟出人意料地呵护着我。无论是“被迷恋”的说法,还是“被喜欢”的说法,都完全不适合我,或许倒是“受到呵护”这一说法更贴近我的情况。

女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

对待滑稽的逗笑,女人似乎比男人更显得游刃有余。当我扮演滑稽角色进行逗笑时,男人从不会哈哈大笑。而且我也知道,如果在男人面前搞笑时随着兴致得意忘形的话,肯定会招致失败,所以总是惦记着在恰到好处时中止表演。可女人却压根儿不知道什么叫“适可而止”,总是无休无止地缠着我要我继续搞笑。为了满足她们那毫无节制的要求,我累得筋疲力尽,事实上她们确实能笑。女人似乎能够比男人更贪婪地吞噬快乐。

 自分が中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理の先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん」

 或る晚、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

「そっくり。ロイドに、そっくり」

 当時、ハロルド.ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

「諸君」

 と言い、

「このたび、日本のファンの皆様がたに、……」

 と一場の挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それから、ロイドの映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

在我中学时代寄宿的亲戚家中,一旦表姐表妹闲下来,总爱跑到我二楼的房间里来,每次都吓得我跳起来。

“你在用功吗?”

“不,没有呐,”我胆战心惊地微笑着,合上书本说到,“今天啦,学校里一个名叫“棍棒”的地理老师,他……”

从我嘴里迸出的都是一些言不由衷的笑话。

“阿叶,把眼镜戴上给我们看看!”

一天晚上,表妹雪子和表姐一起来到我的房间玩。在我被迫进行了大量的搞笑后,她们冷不防地提出了戴眼镜给她们看看的要求。

“干吗?”

“甭管了,快戴上看看吧。把阿姐的眼镜借来戴戴看!”

平常她总是用这种粗暴的命令口吻对我说话。于是,我这滑稽小丑老老实实地戴上了表姐的眼镜。刹那间两个姑娘笑得前仰后合。

“真是一模一样!和劳埃德简直一模一样!”

当时,哈罗德?劳埃德作为一名外国喜剧演员,在日本正风靡一时。

我站起身,举起一只手说道:

“诸位,此番我特向日本的影迷们……”

我尝试着模仿劳埃德的样子做一番致辞,这更是惹得她们捧腹大笑。那以后,劳埃德的电影在这个镇上每演必看,私下里琢磨他的表情举止。

また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

一个秋日的夜晚,我正躺着看书。表姐像一只鸟儿似的飞进我的房间,猛地倒到我的被子上啜泣起来。

“阿叶,你肯定会救我的,对吧。这种家,我们还是一起出走的好,对不?救救我,救救我。”

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

她嘴里念叨着这些吓唬人的话,还一个劲儿地抽噎着。不过,我并不是第一次目睹女人的这种模样,所以,对表姐的夸张言辞并不感到惊讶,相反,倒是对她那些话的陈腐和空洞感到格外的扫兴。于是,我悄悄地从被窝中抽身起来,把桌子上的柿子剥开,递给表姐一块。表姐一边啜泣着,一边吃起柿子来了。

“有什么好看的书没有?借给我看看吧”她说道。

我从书架上给她挑选了一本夏目漱石的《我是猫》。

“谢谢你的款待。”

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓《みみず》の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。

表姐有些害羞地笑着,走出了房间。其实不光是表姐,所有的女人,到底是怀着什么样的心情活着呢?思考这种事情,对我来说,甚至比揣摩蚯蚓的想法还要棘手费事,更让人产生阴森可怖的感觉。不过唯一有一点是我要依靠幼时的经验而明白:女人像那样哭诉起来时,只要递给她什么好吃的东西她就会吃起来,并因此而改变心境。

また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

表妹雪子有时候会把她的朋友带到我的房间里来。我按照惯例,公平地逗大家笑。等朋友离去后,雪子必定会对朋友的不是大肆数落一番。诸如“她是个不良少女,你可得当心呐”之类的。倘若果真如此,不是用不着特地带到这里来吗?也多亏雪子,我房间的来客几乎全是女性。

しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり、自分は、日本の東北のハロルド.ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

不过,竹一说的那句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,却没能兑现。总之,我不过是日本东北地区的哈罗德?劳埃德罢了。竹一那句愚蠢的奉承话,作为可憎的预言,活生生地呈现出了不祥的兆头,还是在那以后很多年的事情。

竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

竹一还赠送给我另一份重大的礼物。

「お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

“这是妖怪的画像呐。”

曾几何时竹一到我楼上的房间玩,得意洋洋地拿出一张原色版的卷头画给我看,这样说道。

おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランスの所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一步を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん見て、タッチの面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。

“哎?!”我大吃一惊。多年后我才清醒地认识到:就是在那一瞬间里,我未来的道路被彻底决定了。我知道,其实那不过是凡高的自画像。在我们少年时代,所谓法国印象派的绘画正广为流行,大都是从印象派绘画开始学习鉴赏西洋绘画。所以,一提起凡高、高更、塞尚、雷诺阿等人的画,即使是穷乡僻壤的中学生,也大都见到过照像版。凡高的原色版绘画我也见过不少,对其笔法有兴趣和鲜艳色彩颇感兴趣,但从来没有想过,他的自画像是什么妖怪的画像。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」“这种画又怎么样呢?也像妖怪吗?”

 自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。我从书架上取下莫迪里阿尼的画册,把其中的一幅古铜色肌肤的裸体妇人画像拿给竹一看。

「すげえなあ」

 竹一は眼を丸くして感嘆しました。

“这可了不得呀。”竹一瞪圆了眼镜感叹道。

「地獄の馬みたい」“就像一匹地狱之马呐。”

「やっぱり、お化けかね」“不,还是像妖怪吧。”

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」“我也想画一画这种妖怪呐。”

 あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪《ようかい》を確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷《いた》めつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」

 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

对人感到过分恐惧的人,反倒更加迫切地希望用自己的眼睛去看更可怕的妖怪;越是容易对事物感到胆怯的神经质的人,就越是渴望暴风雨降临得更加猛烈……啊,这一群画家被妖怪所伤害所恫吓,以致于最终相信了幻影,在白昼的自然之中栩栩如生地目睹了妖怪的所在。而且,她们并没有使用“滑稽的逗笑”来掩饰自身的恐惧,而是致力于原封不动表现自己所见。正如竹一说的,他们勇敢地描绘出“妖怪的自画像”。原来,在这里竟然存在着未来的我的同伴,这使我兴奋得热泪盈眶。

“我也要画,画那种妖怪的画像,画那种地狱之马。”我压低嗓音对竹一说道。

自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校へはいって、自分は油絵の道具も一|揃《そろ》い持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐《おうと》をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。

我从小学时代就喜欢上了画画和看画。但我的画不像我写的作文那样受到交口称赞。因为我压根儿就对人类的语言毫不信任,所以作文在我眼里就如同搞笑的寒暄语一般。尽管我的作文在小学和中学都逗得老师前仰后合,但我自己却并不觉得有趣。只有绘画(漫画等另当别论)让我在如何表现其对象上殚精竭虑,尽管这种殚思竭虑采用的是我自己的一套独特方式。学校绘画课的画帖实在无聊透顶,而老师的画又拙劣无比,所以我不得不自己来摸索各种各样的表现形式。进入中学后,我已经拥有了一套油画的画具,尽管我试图从印象派的画风中寻找出绘画技巧的范本,可自己画出来的东西却俨然儿童做手工的彩色印花纸一般呆滞乏味,不成样子。不过,竹一的一句话启发了我,使我意识倒自己以前对绘画的看法,——竭力想把觉得美的东西原封不动地描绘为美是幼稚和愚蠢乃至完全谬误的。绘画大师利用主观力量,对那些平淡无奇的东西加以美的创造,虽说他们对丑恶的东西感到恶心呕吐,却并不隐瞒对它们的兴趣,从而沉浸在表现的愉悦中。换言之,他们丝毫不为别人的看法左右。我从竹一那儿获得了这种画法的原始秘诀。于是,我瞒着那些女性来客,开始着手制作自画像了。

自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

一幅阴惨的画诞生了,甚至让我自己都大为震惊。可这就是隐匿在内心深处的自己的真实面目。表面上我在快活地欢笑,并引发别人的欢笑,可事实上,我却背负着如此阴郁的心灵。“又有什么办法呢?”我只好暗自肯定现状。但那幅画除了竹一,我没给任何人看过。我不愿被人看穿自己逗笑背后的凄凉,也不愿别人突然之间开始小心翼翼地提防起我来,我担心他们甚至没有发现这便是我的本来面目,而依旧视为一种新近发明的搞笑方式,把它当成一大笑料。这是最让我痛苦难堪的事情。所以我立刻把那幅画藏进了抽屉深处。

また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。

在学校的绘画课上,我也收敛起了那种“妖怪式的画法”,而使用先前平庸的画法,将美的东西原封不动地描绘成美。

自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、

「お前は、偉い絵画きになる」

 という予言を得たのでした。

 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。

以前我便是只在竹一面前才若无其事地展示自己动辄受伤的神经,所以这次的自画像也放心大胆地拿给竹一看,果然也得到了他的啧啧称赞。于是,我又连续画出了第二张、第三张妖怪的画像。竹一又送给我另一个预言:

“你呀,肯定会成为一个了不起的画家呐。”

“肯定会被女人迷恋上”与“肯定会成为一个了不起的画家”是傻瓜竹一在我的额头上镌刻的两种预言。随后不久,我便来到了东京。

自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易《へきえき》して、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール.スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧《かんぺき》に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

我本来想进美术学校,但父亲对我说,早就打定了主意让我上高中,以便将来做官从政。所以,天生就不敢跟大人顶嘴的我只好茫然地遵从父命。父亲让我从四年级开始考东京的高中,而我自己也对临海和满是樱花的中学感到厌倦,所以不等升入五年级,四年级学业结束后我便考入东京的高中,开始了学生宿舍生活。宿舍的肮脏和粗暴使我不胜畏葸,哪里还顾得上扮演丑角逗笑。我请医生开了张“肺浸润”的诊断书,搬出了学生宿舍,移居到上野樱木町父亲的别墅里。我根本无法过那种所谓集体生活,什么青春的感动,什么年轻人的骄傲等等豪言壮语,只会在我耳朵里唤起一阵凛冽的寒气,使我与那种“高中生的蓬勃朝气”格格不入。我甚至觉得,不管教室,还是宿舍,都无非是被扭曲了的性欲的垃圾堆而已。我那近于完美的逗笑本领在这里没有用武之地。

父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成《くすのきまさしげ》の銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

我父亲在议会休会时,每个月只在别墅呆一周或两周,父亲不在时,这栋庞大的建筑物中便只剩下别墅管家(一对老夫妇)和我三个人。我时常逃学,也没心思去游览东京(看来我最终也看不成明治神宫、楠木正成[日本南北朝时代的武将]的铜像、泉岳寺的四十七烈士墓了),成天闷在家里读书画画。等父亲上东京后,我每天早晨都匆匆奔赴学校,但有时去的却是本乡千驮木町的西洋画画家安田新太郎的画塾,在那里连续三四小时素描练习。从高中宿舍搬出来后,连坐在课堂听讲也有了一种败兴的感觉,仿佛自己是处在旁听生那种特殊的位置上。尽管这可能只是偏见,我却是更害怕去学校了。上小学、中学、高中、我最终也没能懂得所谓爱校之心是什么东西,我甚至从来也没想过去记住学校的校歌。

自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦《いんばいふ》と質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

不久,在画塾里,我从一个学画的学生那儿得知了诸如酒、香烟、娼妓、当铺以及左翼思想之类的东西。尽管这些东西摆在一起,是种奇妙的组合,这却是事实。

その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。

那个学画的学生名叫掘木正雄,出生在东京的庶民区,长我六岁,从私立美术学校毕业后,因为家里没有画室,才上这所画塾来继续学校西洋画的。

「五円、貸してくれないか」

 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。

「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

 自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱《ほうらい》町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

“能借我五元钱吗?”

在此之前,只是打过照面而已,从未说过话,所以我有些张皇失措地掏出了五元钱。

“走啊,喝酒去吧。我请你喝。你这个象姑。”

我无法拒绝,被他拽进了画塾附近的蓬莱町酒馆。这就是我与他交往的开始。

“我早就注意到你了。瞧,你那种腼腆的微笑,正是大有作为的艺术家特有的表情呐。为了纪念我们的相识,干一杯吧。——阿绢,这家伙该算得上是个美男子吧。你可不要被他迷住了哟。这小子来画塾之后,害我降格成为第二号美男子了呐。”

 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広《せびろ》を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

掘木长着一张黝黑的端庄面孔,身上穿着一套整齐的西装,脖子上系着一根素雅的领带,这种装束在学画的学生中是颇罕见的。他的头发还抹了发油,从正中间齐齐整整地向两边分开。

自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

身处酒馆这样陌生的环境,我心中只有恐惧。我局促地把两只胳膊一忽儿抱紧,一忽儿松开,露出一脸腼腆的微笑。可就在两三杯酒下肚之后,我却感到了一种奇妙的、获得解放似的轻松。

「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」

「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」

“我曾琢磨着想进美术学校呐,可是......”

“啊呀,可没劲呐,那种地方真是没劲儿透了!我们的老师乃是存在于自然之中!存在于我们对自然的激情之中!”

しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。

但我对他说的东西却没有半点儿敬意,只是暗自思忖:这是个蠢货!他的画必定蹩脚透顶,但作为一个玩耍的伙伴,或许倒是最佳人选。我平生第一次见识了什么是真资格的都市痞子。尽管与我的表现方式大相径庭,在彻底游离于人世的营生之外、迷惘彷徨这一点上,毕竟属于同类。而且他是在无意识种实施着逗笑的丑角行为,全然没有觉察到这种丑角行为的悲惨。这正是他与我本质上迥然相异的地方。

 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑《けいべつ》し、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って步いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

仅仅是在一块玩玩,把他当成玩伴来交往——我总是这样蔑视他,耻于与他交往。但在与他结伴而行的过程中,我自己却成了他的手下败将。

しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋《ひ》の絨緞《じゅうたん》が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇《りんしょく》ゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを步けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

最初我一直认为他是个大好人,一个难得的大好人。就连对人恐惧的我,也彻底放松了警惕,以为找到了领着我见识东京的好向导。说实话,我这个人,坐电车会对售票员犯怵;去歌舞伎剧场,一看到大门口铺红地毯的台阶两边并排站着的引路小姐又会顿生畏惧;进餐馆吧,瞥见悄悄站在身后等着收拾盘子的侍应生也会胆战心惊。天哪,特别是付钱的时候,我那双颤颤巍巍的手!买了东西之后,把钱递给对方,不是因为吝啬,而是过度紧张、害臊、不安与恐怖,只觉得头昏眼花,世界蓦然变得漆黑一团,哪里还顾得上讨价还价,有时甚至忘了接过找头,忘了拿走买下的东西。我根本无法独自在东京的街头漫步,只好整日蜷缩在家打发光阴。

それが、堀木に財布を渡して一緒に步くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

可是一旦把钱包交给掘木再一起去逛街,情形就大不相同了,掘木大肆侃价,俨然是玩耍的行家,使极少的钱发挥出最大的功效。而且,他对街头昂贵的出租车一概敬而远之,因地制宜地乘坐电车、公共汽车和小汽艇。他有利用最短的时间抵达目的地的本事,还对我现场演示教育:比如清晨从妓女那儿回家的途中,顺路拐到某个旅馆,泡个澡,再一边吃豆腐汤锅,一边咪点酒,这样不仅便宜划算,还显得很阔气。他还教给我,摊贩卖的牛肉盖浇饭和烤鸡肉串不仅价钱便宜而且富于营养。还满有把握地断言,所有酒中间,要数白兰地酒劲儿上来得最快最猛。在结帐买单时,他从来没有让我感到一星半点的不安和畏惧。

第二の手記(2)

 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂|情熱《パトス》の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で步いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼《きく》が、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途《せんど》と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

和掘木交往的另一大好处是,掘木完全无视谈话对方的想法,只顾听凭所谓激情的驱使(或许所谓‘激情’就是要无视对方的立场),一天到晚絮叨着种种无聊的话题。所以我完全不用担心两个人逛街逛累了会陷入尴尬的沉默。与人交往时,我最介意那种可怕的沉默局面,所以天生嘴笨的我才会拼命扮演丑角以求度过难关。而眼前这个傻瓜掘木却无意中主动担当起那种逗笑的滑稽角色,使我能够对他的话置若罔闻,只要适时地科插打诨便足以应付了。

酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

不久我也明白了:酒、香烟和妓女,是能够帮助人暂时忘却人的可怕的绝妙手段。我甚至萌发了这样的想法:为了寻求这些,我不惜变卖我的全部家当。

自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。

在我眼里,妓女这个种类,既不是人,也不是女性,倒像是白痴或狂人。在她们的怀抱里,我反倒能高枕无忧,安然成眠。她们没有一丁点儿的欲望,简直到达了令人悲哀的地步。或许是从我这里发现了一种同类的亲近感吧,那些妓女常常向我表现出自然的好意。这毫无算计之心,绝无勉强之意的好意,萍水相逢之人的好意,没有令我感到局促不安,使我在茫茫黑夜中,从白痴或狂人式的妓女那里,真切地看到了圣母玛利亚的圣洁光环。

しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然《がくぜん》として、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥《ひわい》で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

为了摆脱对人的恐惧,获得一宿安眠,我去她们那里。可就在“和我同类”的妓女玩乐的时候,一种无意识的讨厌氛围开始弥漫,这是连我自己都不曾设想过的“添加的附录”。渐渐地那“附录”浮出了水面,最终掘木点破了玄机。我不禁在愕然之余,深感厌恶。在旁人看来,说得通俗点,我是利用妓女进行着女人方面的修炼,长进显著。据说,通过妓女来磨炼与女人交往的本领,是最厉害也最富有成效的。我身上早已飘漾着那种“风月场上老手”的气息。女人(不仅限于妓女)凭本能嗅到了这种气息,并趋之若骛。人们竟把这种猥亵的、极不光彩的背景当作了我“添加的附录”,以致于它比我寻求休憩的本意更加醒目。

堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦《にが》さを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。

或许掘木是半带着奉承说出那番话的,却不幸言中了。比如说,我就曾经收到酒馆女人写的稚拙的情书;还有樱木町邻居将军家那个二十来岁的姑娘,会在每天早晨专挑我上学的时间,故意略施粉黛踟躇于自家门前;我去吃牛肉饭时,即使一言不发,那儿的女佣也会......我经常光顾的那家香烟铺子的小姑娘,在递给我的香烟盒子里竟然也有......还有,去观赏歌舞伎时,那个邻座的女人......在深夜的市营电车上酩酊大醉而酣然入睡之时......还有,乡下亲戚家的姑娘出乎意料地寄来了缱绻缠绵的相思笺......还有,某个不知名的姑娘,在我外出时留给我一个手工制作的偶人......由于我的消极退避,每次罗曼史都如蜻蜓点水,停留于一些残缺的断片,没有深入进展。但有一点却不是信口雌黄,我身上某个地方萦绕着供女人做梦的氛围。这一点被掘木那家伙点破时,我感到一种近于屈辱的痛苦,对妓女的兴趣也倏然消失了。

堀木は、また、その見栄坊《みえぼう》のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R.Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR.S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

掘木出于爱慕虚荣和追赶时髦的心理(至今我也如此认为。除此之外,再也找不到别的理由)某天带我参加了一个叫做共产主义读书会的秘密研究会(大概是叫R.S吧,我也记不清了)。出席那个秘密集会只是掘木那种人领我“游览东京”的一过场罢了。我被介绍给那些所谓的“同志”,还被迫买下了一本宣传册子,听坐在上席的丑陋青年讲授马克思主义学说。而一切在我看来却是再明白也没有的内容了。或许他确实言之有理,但人的内心深处,分明存在着一种难以言喻的东西。称之为“欲望”吧,觉得言不尽意,谓之“虚荣心”也不确切,统称为“色情和欲望”仍然辞不达意。尽管我自己也是云里雾里,但我总认为,人世的底层毕竟存在某种绝不单纯是经济的、而是近于怪谭的东西。我是个极端害怕怪谭式东西的人,所以尽管赞成唯物论,就像肯定水往低处流,却不能仰仗这信仰来摆脱对人的恐惧,不能放眼绿叶而感受到希望的喜悦。不过我却一次不拉地参加了R.S的活动(仅凭记忆,可能有误)。“同志”们俨然大事临头,面孔紧绷,沉浸在“一加一等于二”那样初等算术式的理论研究中。见此情景,我觉得滑稽透顶,于是利用自己惯用的逗笑本领来活跃集会的气氛。渐渐研究会上拘谨古板的气氛得到了缓解,我成了集会上不可或缺的宠儿。那些貌似单纯的人认为我和他们一样单纯,把我看成一个乐观而诙谐的“同志”。假如当真如此,我便是彻头彻尾地欺骗了他们。我并不是他们的“同志”,却每次必到,奉上丑角的逗笑服务。

好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。

我喜欢这样做,喜欢他们。并不是什么马克思主义建立起来的亲密感。

非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

不合法。这带给我小小的乐趣。不,毋宁说使我心旷神怡。其实,世上称为“合法”的东西才更可怕。(对此我预感到某种无比强大的东西)。其中的复杂构造更是不可理喻。我不能死守在一个没有门窗的寒冷房间里,既便外面是一片不合法的大海,我也要纵身跳下去。哪怕是马上死去,我也心甘情愿。

 日蔭者《ひかげもの》、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者[#「生れた時からの日蔭者」に傍点]のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

有一个说法叫做“见不得人的人”。就是那些人间悲惨的失败者、悖德者。我觉得自打一出生我就是个“见不得人的人”,所以一旦遇到人世所谤的同类,就不由分说变得善良温柔了。这样的“温柔”足以令我自己如痴如醉。

 また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠《そうこう》の妻の如き好|伴侶《はんりょ》で、そいつと二人きりで侘《わ》びしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、脛《すね》に傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも[#「血肉よりも」に傍点]親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情の囁《ささや》きのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落《しゃれ》を言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず、殊にも自分は、その非合法の世界に於いては、合法の紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審|訊問《じんもん》などを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄で呻《うめ》いているよりは、いっそ牢屋《ろうや》のほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。

还有一种说法叫做“狂人意识”。我每时每刻都受着这种意识的折磨,它却又是与我休戚与共的糟糠之妻,厮磨着,进行凄寂的游戏。这已经成了我的生存方式。俗话说“腿上有伤痕,没脸来见人”。在襁褓中这种伤痕就赫然出现在我的一条腿上,随着长大非但没有治愈,反而日益加剧,扩散到骨髓深处。每夜的痛苦就如千变万化的地狱,但(说来也怪),那伤口逐渐变得比自己的血肉还要亲密无间。伤口的疼痛,仿佛有活生生的情感,如同爱情的呢喃。对我这样的男人,地下活动小组的氛围格外安心惬意。那运动的外壳比其追求的目的更为适合我。掘木则出于闹着玩的心理,把我介绍到那个集会中去,其实他自己总共只去了一次。他曾说过一句拙劣的俏皮话:“马克思主义者在研究生产这一方面的同时,也有必要观察消费这一方面嘛。”所以他不去集会,倒是一门心思拽住我到外面考察消费状况。回想当时各种各样的马克思主义者:有掘木那样爱慕虚荣、追赶时髦,心里自诩为“马克思主义者”的;也有我这样仅仅喜欢“不合法”气氛便一头扎入其中的。倘若我们的真实面目被真正的信仰者识破,无疑我俩都逃不过他们的愤怒斥责,被当成叛徒赶出组织。但我们却没有被开除,在不合法的世界里,我们比在绅士的合法世界里活得更加悠闲自在、游刃有余,显得“蓬勃健康”。以致于被当作前途无量的同志委以重任。真让人忍俊不禁。我一次也没有拒绝,泰然自若地受命,也不曾因举止反常而受到“狗”(同志们都这样称呼警察)的怀疑和审讯。我总是一边逗笑,一边准确无误地完成他们所谓的“危险”任务。(那帮从事运动的家伙常常如临大敌般高度紧张,甚至蹩脚地模仿侦探小说,警惕过了头。他们交给我的任务全是无聊透顶的,却煞有介事地制造紧张气氛)。我心情当时是,宁愿作为共产党而遭捕,即使终生身陷囹圄,也绝不反悔。我甚至觉得与其对世上的“实生活”感到恐惧,每晚在辗转难眠的地狱中呻吟叹息,还不如被关进牢房来得畅快轻松。

父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺《ろうや》から聞きました。

父亲在樱木町的别墅里忙于接待客人,要么就是有事外出,所以虽然我和他住在同一屋檐下,有时连着三四天连一面都见不到。我总觉得父亲很难接近,严厉可怕,因此也琢磨着是不是该离开这个家搬到某个宿舍去住。还没说出口,就从别墅老管家那里听说了父亲有意出售这栋房子。

父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。

父亲的译员任期即将届满,想必还有种种理由吧,他无意继续参选,打算在故乡建一个隐居的地方,对东京似乎并不留恋。我不过是个高中生,特地为我保留住宅和佣人在他看来是种不必要的浪费吧。(父亲的心事与世上所有人的心事一样,是我无法明白的)这样,这个家不久就转让给别人,我搬进了本乡森川町一栋名叫仙游馆的旧公寓的阴暗房间。过了一阵子,在经济上便陷入了窘境。

 それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。

在此之前我总是每月从父亲那里拿到固定金额的零花钱。即使这笔钱立马告罄,香烟、酒、乳酪、水果等等家里随时都有。书、文具、衣服和其他一切也可以在附近店铺赊帐。连款待掘木吃荞麦面或炸虾盖浇饭,只要是父亲经常光顾的这条街上的餐馆,都可以吃完后一声不响甩手而去。

                


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